大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9988号 判決 1973年1月27日

原告 波多野鑒吾

右訴訟代理人弁護士 小林宏也

同 永井津好

同 川瀬仁司

右訴訟復代理人弁護士 菅原信夫

同 本多藤男

同 長谷川武弘

同 千賀修一

被告 広瀬芳郎

右訴訟代理人弁護士 斉藤善治郎

主文

原告の主位的請求および予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(一)  主位的請求

1 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を収去して同目録記載の宅地を明渡し、かつ昭和四二年二月一日から昭和四四年一月末日まで三・三平方メートル当り一ヶ月金七二円、昭和四四年二月一日から昭和四六年一月末日まで同金九六円、昭和四六年二月一日から昭和四七年三月末日まで同金一三七円、昭和四七年四月一日から右明渡済に至るまで同金一六〇円の各割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行の宣言

(二)  予備的請求

1 被告は、原告に対し、金七八万八、六六七円およびこれに対する昭和四二年二月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  主位的請求の原因(原告)

(一)  原告は、昭和二二年一月頃その所有にかかる別紙物件目録記載の宅地(以下本件宅地という)を、被告に対し、左記の約定で賃貸した。

1 目的 普通建物所有

2 期間 契約成立の日から起算して二〇年間

3 賃料 数度に亘る増額の結果、昭和四二年当時三・三平方メートル当り一ヶ月金七〇円

(二)  被告は、本件宅地上に別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)を建築所有して右宅地を占有している。

(三)  ところが、被告には、左記のとおり本件賃貸借契約の継続を著しく困難ならしめる背信行為があったので、原告は、昭和四一年一二月二二日頃被告に対し、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたので、そのころ本件賃貸借契約は解除された。

1 原告は、本件賃貸借契約の期間満了に先立つ昭和四一年一〇月頃被告に対し、契約の更新を希望するか否かについて打診したところ、被告は、三・三平方メートル当り金五、〇〇〇円の割合による更新料の支払をもって更新を希望するとのことであったが、原告としては、更新料は更地価格の五ないし一〇パーセントが相当であると考えていたので、額の点で折合がつかなかった。

ところで、東京都内においては、戦後とくに昭和三〇年頃から借地契約の更新に当り、借地人から地主に対して相当額の更新料を支払う例が多く、最近においては、更地価格の五ないし一〇パーセントの更新料を支払うとの商慣習ないし事実たる慣習が成立している。

ところが、被告は右の慣習の存在を知り、かつ一旦は三・三平方メートル当り金五、〇〇〇円の割合による更新料の支払を約しながら、その後全くその支払を拒絶するに至った。

2 被告は昭和四一年秋ごろ本件宅地とその隣接地との境界線付近に塀および車庫を設置した際、右境界線上にあった境界標石を故意または重大な過失により収去し、またはセメントで塗り込めてその効用を喪失させた。

(四)  仮に、右の事由によって未だ原・被告間の信頼関係を破壊するものとなすに足りず、本件賃貸借契約解除の原因とならないとしても、被告には右の事由に加えて左記のとおりの背信行為があり、原告は、昭和四四年四月二二日の本件口頭弁論期日において被告に対し、改めて本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたので、同契約は右同日解除された。

1 原告は、前記調停申立をした後も、被告との関係を円満友好裡に保つべく努めてきたのに反し、被告はことあるごとに原告と反目し、日常の挨拶を交わさないのはもとより、最近においては双方の孫同志が遊んでいるのに被告の孫を一方的に引離す等常軌を逸した行動に及んでいる。

2 被告は、原告が申立てた調停の期日に出頭しないばかりか、かえって原告が右の手続を執ったことに立腹し、些細なことにも激昂するありさまで、昭和四二年八月一六日朝原告が出勤するため自宅を出たところ、被告は原告に接近していきなり、原告を両手で突きとばし、「おまえのせがれはステレオの音を大きくさせて近所迷惑だ。お前は知らんのか。」等と暴言を吐いたうえ、原告の左手を固く握って捻じり上げる等の暴行におよび、これによって原告に対し全治一週間の傷害を負わせた。

(五)  本件宅地の三・三平方メートル当り一ヶ月の相当賃料額は、昭和四二年二月一日から昭和四四年一月末日まで金七二円、昭和四四年二月一日から昭和四六年一月末日まで金九六円、昭和四六年二月一日から昭和四七年三月末日まで金一三七円、昭和四七年四月一日からは金一六〇円である。

(六)  よって、原告は、被告に対し、本件建物を収去して本件宅地を明渡し、かつ本件賃貸借契約が解除された後である昭和四二年二月一日から右明渡済に至るまで前項記載の各割合による賃料相当損害金を支払うことを求める。

二  予備的請求の原因

(一)  仮に、右契約解除の主張が認められず、本件賃貸借契約が前記期間の満了と同時に当然更新されたとすれば、被告は原告に対し、更地価格の五ないし一〇パーセントの更新料を支払う義務がある。

すなわち、前記のとおり東京都内においては、借地契約の更新に当って借地人から地主に対し、更地価格の五ないし一〇パーセントの更新料を支払うとの事実たる慣習が成立している。

そして、右の支払義務は、賃貸人の賃借人に対する請求によって当然発生するものであるところ、原告は昭和四一年一一月頃から被告に対し、その支払を請求してきた。

ちなみに、更新料は、賃料の補充あるいは借地契約の期間満了に際して賃貸人が行使し得べき更新拒絶権の放棄に対する対価としての意味をもつものと考えられるが、これを支払うことを内容とする慣習は、もとより借地法の法定更新に関する強行規定に反するものではなく、むしろ借地契約の更新をめぐる紛争を防止し、更新を助長、促進するものである。

(二)  本件宅地の昭和四二年一月現在における更地価格は三・三平方メートル当り金二二万九、二〇〇円であり、更新料率は前記五パーセントと一〇パーセントの間である八パーセントが相当であるから、本件宅地の更新料は少くとも金七八万八、六六七円となる。

(三)  よって、原告は被告に対し、更新料として金七八万八、六六七円およびこれに対する更新料支払期限である昭和四二年二月一日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  主位的および予備的請求の原因に対する認否(被告)

(一)  主位的請求の原因(一)は認める。

(二)  同(二)は認める。

(三)1  同(三)冒頭部分のうち、原告主張の解除の意思表示がなされたことは認める。

2  同(三)1は否認する。

東京都内において、昭和四〇年前後から借地契約の更新に当って借地人から地主に対し、更新料を支払う例が見られるようになったことは否定できないが、未だ慣習として固定化しているとはいえないし、仮に右の慣行が一般化、固定化しつつあるとしても、強行法規である借地法第六条に反するものであるから、事実たる慣習として成立する余地はない。

3  同(三)2は否認する。

(四)1  同(四)冒頭部分のうち、原告主張の契約解除の意思表示があったことを認め、その余は争う。

2  同(四)1は否認する。

3  同(四)2のうち、被告が原告主張の日時に原告に対し、その前夜原告方のステレオによる騒音で悩まされたことを大声で非難したことは認めるが、その余は否認する。

(五)  同(五)は否認する。

(六)  予備的請求の原因(一)は否認する。反論の詳細は三(三)2において述べたとおりである。

(七)  同(二)は争う。

第三証拠関係≪省略≫

理由

第一  主位的請求について

一  原告が昭和二二年一月頃その所有にかかる本件宅地をその主張のような約定で被告に賃貸したこと、被告が本件宅地上に本件建物を建築所有して右宅地を占有していることについては当事者間に争いがない。

二  原告が昭和四一年一二月二二日頃被告に対し、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことについては当事者間に争いがない。

そこで、被告に即時解除の事由すなわち、本件賃貸借契約の継続を不可能または著しく困難ならしめる背信行為があったか否かについて判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、原告は、借地契約の更新に当り、借地人から地主に対して相当額の更新料を支払うとの慣習が成立しているものと考えていたので、本件賃貸借契約の期間満了に先立つ昭和四一年七月頃、本件賃貸借につき被告の妻訴外広瀬ゆきに対し、契約を更新する意思の有無を確かめるとともに、更新を希望するのであれば、世間一般の例にならい更地価格の五ないし一〇パーセントの割合による更新料の支払を受けたい旨申し入れたところ、被告は、同年一〇月頃原告に対し、被告と同様に原告から土地を賃借している訴外西村某が三・三平方メートル当り金五、〇〇〇円の割合による更新料の支払をもって更新を認められた例を挙げて、これと同一の条件で更新を認めて欲しい旨回答し、双方の条件に相当な開き(ちなみに、原告は当時本件宅地の更地価格を三・三平方メートル当り金四〇万円と考えていたので、その五ないし一〇パーセントは、三・三平方メートル当り金二ないし四万円となる)があったので、折合がつかなかったこと、その後被告は、東京都の広報担当者や弁護士に相談した結果、更新料を支払う必要はない旨の教示を受けたので、その支払を全く拒絶するに至ったことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

また、≪証拠省略≫を総合すれば、本件宅地とその西側の隣接地との境界線上には三段積みの大谷石が、またその両端には六角の御影石がそれぞれ境界標石として設置されていたところ、被告は、昭和四一年秋頃原告の承諾を得たうえ、右境界線に接して車庫を建築した際、原告に無断で右境界標石の上にブロックを積みかつセメントで塗り固め、これを車庫の壁として利用したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかしながら、原告主張のような、借地契約の法定更新に当って賃貸人の請求があれば、賃借人に当然に更新料支払の義務が生ずる旨の商慣習ないし事実たる慣習の存在については、≪証拠省略≫によってもこれを認めるに足りないし、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、却って、そのような商慣習ないし事実たる慣習が成立する余地がないものと解すべきことは後に説示するとおりであって、借地人には法律上更新料を支払う義務は当然には存しないものと解すべきであるから、原告において当然被告より相当額の更新料の支払を受けうるものと期待するところにそもそも無理があったと言うべく、その支払を拒絶するに至った被告の前記所為をもって背信行為と目することは到底不可能である。

また、境界標石をセメントで塗り固めた所為についても、隣接地との境界線に接して車庫を建築することについては原告の承諾を得ていたわけであるし、被告においてことさらに隣地との境界線を不明確ならしめる等不法不当な意図があったことを窺わせる資料は見当らないから、右所為をもって本件賃貸借契約を解除するに足りる背信行為と評価することはできない。

そして、以上の事由を合わせ考えても、右の結論に差異はないものというべきであるから、原告の前記契約解除の意思表示はその効力を生ずる余地がない。

三  次に、原告が以上の事由に加え、新たな即時解除の事由を主張して、昭和四四年四月二二日の本件口頭弁論期日において被告に対し、改めて本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、本件記録上明らかであるので、その効力について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。(なお、この外被告が原告主張のような常軌を逸した行動に及んでいることについてはこれを認めるに足りる証拠がない。)

(一)  原告は、被告を相手方として東京簡易裁判所に対し調停の申立をなし、被告との間で更新料の支払に関し協議する機会を設けたが、被告は右の調停期日に専ら代理人を出頭させ、自らは一度出席したに過ぎず、更新料の支払交渉につき必ずしも熱意を示さなかったため、結局右の調停は不調に終ったこと。

(二)  原告が前記調停の申立をした後は、原、被告間に感情的なわだかまりを生じ、日常の接触ないし交渉も従前に比して疎遠になり勝ちであったこと。

(三)  被告は、昭和四二年八月一五日夜半過まで原告方のステレオの音に悩まされたので、翌一六日午前八時頃出勤のため自宅を出ようとしていた原告に近づき、「お前のせがれはステレオの音を大きくさせて迷惑だ。お前は知らないのか。」と大声で注意したところ、原告が「(息子とは)部屋が違うから知らない。」と答えたので、その応待に対し、被告は激昂していきなり原告の胸部付近を両手で突いたうえ、なおも原告の左手首をつかんで引っ張ろうとし、原告がこれを振り払おうとしてもみ合っているうち、原告は左肩関節を傷めたこと。

≪証拠判断省略≫

しかしながら、前に説示したとおり被告に法律上更新料支払の義務が存しない以上、被告が原告の申立てた調停に対して必ずしも熱意をもって臨まなかったからと言って、これを背信行為と評価することはできない。

また、前記調停の申立後、原、被告間の関係が従前に比して多少疎遠となったことも高々当事者の主観的感情的な次元の事象に過ぎず、とくに取上げるに値しない。

次に、前記昭和四二年八月一六日の被告の所為についても原告が前記調停の申立をした後は、原、被告間に感情的な齟齬を生じ、些細なことにも激昂しやすい心理状態であったとはいえ、被告の原告に対する言動、就中原告の身体に対し軽微ではあるが暴行に及んだ点は、社会常識に照らし些か穏当を欠くものであったことは否定できないけれども、反面原告の被告に対する応待にも全く問題がなかったわけではなく、原告の負傷にしても被告の害意にもとづくものと言うよりいわばはずみによって生じたものであり、また右の程度の事態は、感情的に齟齬を来たした当事者間においてはややもすれば起りうることであることを併せ考えると、未だ右の所為をもって本件賃貸借の継続に対する重大な障害と見ることはできない。

以上のとおり、原告が被告の背信行為として主張する事由のうち当裁判所が認定したところはいずれも、本件賃貸借契約の継続に対する障害事由としては、殆んど顧慮に値しないかまたは極めて軽微なものと言うべきであって、これらをすべて併せ考えても、到底本件賃貸借契約の継続を不可能または著しく困難ならしめる背信行為と認めるには足りないから、原告のなした前記契約解除の意思表示もその効力を生じるに由ないものである。

四  したがって、原告の本件建物収去、土地明渡の請求は失当である。

第二、予備的請求について、

借地契約の法定更新に当り賃貸人の請求があれば当然に賃借人に更新料支払の義務が生ずる旨の原告主張のような商慣習ないし事実たる慣習の存在を認めうべき証拠のないことは既述のとおりであるが、仮に、右のような、一般的に法定的更新があれば賃貸人はその一方的請求により当然に更新料請求権を取得するとの慣習の存在が認められるとしても、このような慣習は、賃貸借の法定更新により当然に賃借人に更新料という経済的負担(原告の主張によるもそれは決して軽いものではない。)を強制するものであって、事実上賃借人の不利に、借地法の定める法定更新の要件を加重する結果となるものといわざるをえないから、同法第一一条の規定の精神に照らし、その効力を認めるに由ないものと解すべきである。(なお、近年東京都内等都市部においては、借地契約の更新に当って借地人から地主に対し、借地の更新価格に対する一定割合の金員を更新料として支払う例がかなり一般化しており、裁判所における和解あるいは調停の条項として、借地人に対し相当額の更新料支払の義務を課する事例も少なからず見受けられることは公知の事実であるけれども、これは、個別具体的にそれぞれの状況判断のもとに更新料の支払を約するものであるから、その効力いかんは別個の問題である。)

したがって、原告の更新料の請求は失当である。

第三、以上の次第で、原告の被告に対する主位的請求および予備的請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真船孝充 裁判官 篠清 安倉孝弘)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例